さらば、愛の言葉よ

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観終わった後に友達に薦めたくなる映画とそうでない映画があります。本作は完全に後者で、まず人には薦めません。その代わりに人が観てどう感じたか凄く気になる映画で、皆さんの感想を見てこう言う捉え方もあるのかと感心しています。齢80過ぎにしてこの感覚、ゴタールはやっぱり凄い人です。アート作品と一括りにできない訳の分からなさが良いですね。また、その斬新な映像もさる事ながら、私には音が気になりました。時折ながれる不快なノイズ、紙にインクペンで文字を書く時の擦れる音、映画館でなければ止めてくれって叫んでましたね。
観たって事実がつくられるだけで多くの頭を満足させてきたのは認めるとして、これまでと違い、まったく退屈しないのにぜんぜん面白くないなんて凄すぎる。少なくとも、テクストへのひたすら稚拙なフェティッシュを暴露するだけであるかのような言葉の相変わらずのダサさに対する錯乱めいた自己否定は、しかと感受しました。とかいって実は3D自体初体験で、錯乱した猿状態であった。でも結像した靄状のもののなかで個々に機能している現象の精度を把握できるというギミックに混乱を来すのは、可能かどうかは措くとして、犬でも猿でもいいはず。
3Dってこんな使い方もあるのか。眼が 大変だった。娯楽映画とはかけ離れた芸術だった。気狂いピエロや勝手にしやがれをゴダールだと思っていたら面食らう。台詞だけを冊子にしてほしいくらい、もう一度読みたい。
@シネマート新宿
めがちかれた
メタファー。奥行き、犬、森、交差していく、赤や青の色彩。訳がわからない。でもこの分からなさが芸術であり気持ち悪くて残る。現代アートと哲学をハイカラーな映像で観ているようだった。この歳になってもなお、3Dに挑戦するゴダールだからこそ出来た作品。「映画」と言うよりも「作品」だった。でも「作品」と呼ぶには可笑しいかもしれないので、やっぱり映画なんだろうなぁ。この映画の内容はすぐに忘れちゃうだろうけど、観に行ったことは忘れないだろう。
K
ストレス映画。しんどかった、というのが正直な感想。あの尺なのに。ゴダールは初体験だが、まあ難しい( )映画なんだろうな〜〜、と思いつつ一応最後まで粘る。一度で理解できないんだろうが、何度も観たいとは思えなかった。ゴダールというブランドが無かったら、どういう反響があるのだろうこの作品。なにが駄目かと問われたら、よくわからん、としか言えないので私が無知なのかもしれない。何か面白さの様なものがあれば良いのだけど。あと真ん中に、ゴシック体で"暗喩"とか文字が出るのはダサかった。この映画、字幕で観ちゃ駄目だと思う。
世界は森。犬は世界をそのまま見るが人間は全世界を知ることはできない。意識を持つから。言葉は世界を切り取り、世界は言葉からこぼれ落ちる。◆引き合う男と女。伝えたい言葉と、言葉からこぼれ落ちる想い。ありのままが見えない言葉への不安と不信。人間であるがゆえの苦しみ。◆ラストは…超えていく?◆3D作品を字幕(奥行きがある!)で見るのはハード。字幕を追いかけきれなくて見逃した場面、切り替わるコラージュに疲れて見逃した場面がたくさん。一度の鑑賞では〈まさに”世界”と一緒〉、ありのままを把握できない。何度も鑑賞したい。
二回目の鑑賞 ゴダールの映画がこんなに面白いと思えたのは生まれて始めてだ 見終わった今まっすぐ立てず上手く歩けなくなっているのは映画に没入し過ぎたせいなのか それとも寝不足と早起きのせいなのか とにかく無理をしてでももう一度みに来て本当に良かったと思ってる まだ昼だけど無事に帰れるか心配なくらいくらくらしていてなんだか楽しい
二重になる像とか極端な奥行きとか違和感を際立たせた3Dの使い方は3Dの目的とされる「画面の物語により入り込ませる」のとは全く別の働きをしていて、おもちゃで遊ぶ時のような原始的な面白さがありました。これは字幕で見るのは無理があるなあ。あと前情報皆無で見たのもあり中心になる男女の関係がなんだか不穏だ、ぐらいしかわからなくて途中でちょっと寝ました。
今回もゴダールよく分かりませんでした!無念!明日また見ます!
いくつかの台詞が金言のように響いて、いろいろなことを考えさせた。もっと考えたい、観ていたいと思うのに眠くてたまらない不思議。この映画を「物語」として観ることは難しいけど、上気の台詞たちが輝いて見えたのは文脈のなせる技だろう。文脈とは話の筋のことではないらしい。それぞれの台詞は意味深く思えるし、意味深いことを考えさせるが、映画全体として見ると関連性がなく、一つの意味を持たない。意味を定めることができない。流れる映像と同じく、それらは断片だ。断片をつなぎ合わせることに何の意味があるのだろう?意味をなくすことに
視力が回復した気がします。
何がなんだかわからないが、それでいいのだ。言葉で単語でなく、それ以前のイメージ。井筒俊彦なんかの哲学ともリンクするような存在が発生する次元の話なのだ。だから見る側が日常的なやり方でこの映画を理解し得た!と思った瞬間には全く脈絡のないシーンへと変わってしまう。ツールとしての言語では理解できない原始的イメージの探求なのである。それは今ここで私が書きたいと思うイメージが言葉にすればするほどすり抜けていってしまうことと似ている。
3D版鑑賞。飛び出すゴダール?さにあらず。3Dを得た不朽のカマシ映画人ゴダールは空間の奥へと引っ込んでゆく。そして2つのスクリーンが層として重なる状況を哄笑的にもてあそぶ。その最たるものが2台のカメラアングルの分離による完全な画面の分裂(眼のピントあわせが余程器用でないと同時に観れない)であり、観る側としては「なんてことをしてくれたんだゴダールめ」と感激の至りである。3Dでなければ、意味と辻褄による平面的な画面の消費を頑として許すまじという意思はここまで先鋭化できないだろう。いやあ凄かった。あと犬可愛い。
犬がかわいかった。 ポスターにも使われてる水に手を入れるシーンはとても綺麗だった。 右と左から違う音が聞こえてくるというのが、3D上映の方式を使うことで視覚でもできるようになったんだなあ。
話の内容は変わらず『映画史』以降のゴダールぽいので、『アワーミュジック』にあったデジカメ問答の沈黙から「3Dに対する彼なりの返答」みたいなことで繋げて考えると、「進む技術に応じてインフレする知覚体験も、使いかたによってはここまでの不快感を催すこともできる」みたいなことなのかな。画面が傾いたり異なるレイヤーに違う画面を重ねたり、散らばる音響とかゴリゴリの筆音とか、嫌がらせとしか思えない。でも心理ではなく生理に訴えかけてくるゴダールというのはなかなか新鮮。ドグマ95(死語)みたいな心地良い見づらさ。
2回目はわりと全体が見通せてすこしすっきりした。1・2それぞれのはじまりにフェリーのカットが入ってたと思うけど、2度目のメタファーパートの途中でもフェリーが入り、そこからロクシーのパートになるようだった。ただしメタファーパート(?)も続いているようで、完全に切り分けられてるわけでもないような?ロクシーのパートの最後でメアリ・シェリーとバイロンの「木船」でエピローグに切り替わり、そこでようやく冒頭の謎の虹色の滲みが、「非Aの最後」の表紙絵だとわかって繋がりすっきりした。
排便とか排泄音とか男女の裸とか視聴覚一つ一つの攻撃力がなかなかのもの。私はゴダールは本当に嫌いだが、3Dを用いての二重写しだったり、3Dによって本来の画面位置と物がズレているのを利用したり、そして相変わらず音も音楽も滅茶苦茶、ここまでくるとゴダール自信の技術を使ってのお遊びに近い。最後、戦争行ってらっしゃいパロディはクスリときた。でも本当に綺麗なシーンがあった。ポスターの上部の、手を水に突っ込むシーン。あそこの水に浮かび、画面からも葉っぱの綺麗なことね。
ストーリーはもう何が何やらだったけどこれはもうストーリーを追う映画じゃないんだろうと諦めて気づいたら終わってた
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さらば、愛の言葉よを観たいと思ったみんな最新10件(33)

01/15:もっぴー
11/24:クロ
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