『夜は短し歩けよ乙女』映画前売券(一般券)(ムビチケEメール送付タイプ) - isbn479480542Xさんの感想

[04/15] isbn479480542X
'17 劇場で。【ネタバレ】面白くなくはなかった。▽とはいえ原作のほうがノリやすいエンタメしてるとは思わなかった。○詳しくは後述。▼"詭弁踊り"が原作の"両手を上げて頭上で手のひらを合わせ、腰をくねらせながら(中略)練り歩く"ものから地面スレスレに体をたおし手を振り歩くさまとして映像化され。で、映画版脚色部分(=乙女が嵐のなか先輩宅を目指す)で、乙女が嵐に抗う為の現実的な身振りとして変奏され……と、映像化による楽しみはある。▼機関車歩き、最初は左右動の大きな歩きで、以降ブレない歩きなのはなぜ? ★​
『夜は短し歩けよ乙女』映画前売券(一般券)(ムビチケEメール送付タイプ)

ナイスした鑑賞家さん

コメント(全15件)

[04/15 22:58] isbn479480542X
■原作のほうがノリやすい部分、詳述■ ▼"おともだちパンチ"の出番/呑み比べの顛末について。▽原作では呑み比べ後、乙女を鯉がかえってきて興奮し口づけしようとするエロ親父(鯉の商人・東堂)の姿を見た先輩が、その魔手から助けるべく男らしく拳を握り出ようとしたところで、彼女はパンチで自力解決して先輩は表舞台の主役になれない……という件で登場する。○あとは文化祭練り歩きでちょっと出てくるだけで、原作のパンチの立ち位置は、つまり前述した呑み比べの夜に先輩のヒロイズムを打ち砕くための一発としてほぼ存在する。
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▽映画版では、乙女がバーで偶然であった東堂(鯉の商人)と飲んでいるときあからさまな乳もみにたいしてふるわれ(原作でも乙女は乳をもまれるが押しのける程度にとどめ、偶然であった羽貫さんの一喝により助けられる)、そのとき先輩は乙女を探して歩いてバーのある雑居ビルの下まで来たところでなぞの富豪・李白翁の手下に拉致されているので、そもそも乙女に魔手が迫っていたことさえ知らない。 ○つぎにパンチは呑み比べの夜、偶然でくわした下半身丸出しの先輩にふるわれ、
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○さらには、ほかの場面でもふるわれていた気がする。(先輩の脳内で、ジョニーにおかされた先輩たちに脳内の乙女がふるっていたのは確実だ) ○先輩へのパンチは誤解によるものだし、どういうタイミングでふるわれるのか、ちょっとよく分からない。 この辺はスタッフがほぼ重なる森見小説アニメ化第一作『四畳半神話大系』のアニメオリジナル回(第三話サイクリング同好会「ソレイユ」)で、主人公の想い人である明石さんに誤解からビンタされる夜をすこし思い出さなくもない。
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▼ゲリラ演劇の顛末。▽原作では、ゲリラ演劇の偏屈王役は、パンツ総番長へ直談判・交渉した結果として先輩がつとめて乙女と台本どおり抱擁し、パンツ総番長と想い人(ゲリラ演劇を企画した発端)は劇のあと「奇遇」にも出会ってそして昔とおなじく赤い球状の物体(達磨)が二人の頭をこつんとする。
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○映画版では、ゲリラ演劇の偏屈王役は、パンツ総番長がつとめ、先輩は「たまたま」そこにやって来たひととして舞台に無理矢理のりこむ。先輩はキスをしようとして失敗し、偏屈王が舞台上に戻り、パンツ総番長の想い人(女装した学園祭事務局局長だった)もまた舞台上に現れて総番長に衝撃をあたえ、舞台下から演劇の裏方が総番長の恋人として立候補し、総番長が「いやおれはあの日リンゴが二人の頭に当ったあの偶然性にこそ心をときめかされたのだ、性別なんて関係ない」という旨を局長に告げ局長もまんざらでもないどころか愛さえ告げたところで
[04/16 10:22] isbn479480542X
舞台下にいた先輩が偶然局長を落としたり嵐にさらわれた物(達磨だったかな、と思ったが、他の感想を見ていたら思い出した。東堂の鯉が降ってきて「コイだコイだ」と叫ぶのであった)が総番長と裏方の頭に同時に当たったり何やかんやあって、ふたりが結ばれる……という、紆余曲折がある。 ○こう纏めると目まぐるしいけど、実際映画を観てみると、この紆余曲折はサクッと行くものでないのだった。
[04/16 10:23] isbn479480542X
予告で使われた/繋がれたような分かりやすい盛り上がり(先輩の疾走やターザン)は、映画本編ではミュージカルの途中途中に挟まれるかたちで出てきてテンションに小休止がかかり、ゲリラ演劇の曲調も相まって、なんともぐだぐだしていた。
[04/16 10:23] isbn479480542X
▼原作との大きな違いとして、先輩と乙女のすれ違いが徹底されている点がある。▽原作だと先輩と乙女はなんやかんや結構会話をしているのだ。呑み比べの夜では先輩は乙女をエロ親父の魔手からこそ救えなかったものの、乙女の"おともだちパンチ"について話を聞かせてもらうし。 ○古本市の夜では、乙女の思い出の絵本を手に入れるも手から飛び去ってしまったものの、絵本売り場で彼女と二人ほぼ同時に手を伸ばして(学園祭の話で語られるロマンチックな挿話が、リンゴが頭に"二人同時に"当たったことに連なるような瞬間だ)、
[04/16 10:23] isbn479480542X
また絵本を手放して乙女に恩を売り、ぎゃくに先輩は内田百聞全集を彼女の助けを借りて買う……というようなつながりを得る。 ○学園祭の夜なんて前述の通り、二人で舞台劇をこなし、先輩は"腕の中にいる彼女が、上気した頬をほころばせ、「お見事でした」と言"われさえする。 もう付き合っちゃいなさいよあなたがた、という感じである。
[04/16 10:23] isbn479480542X
▽映画版では、○呑み比べの顛末では、先輩はパンチをお見舞いされ早々に退場し。○古本市の顛末では、先輩は飛ぶ絵本にしがみついて引きずられたために乙女から一瞥されただけに終わる(先輩、画面右から左への動き)し。 ○学園祭の顛末でも、先輩は舞台にちょっとやってきて(先輩画面右から左への動き)会話したのち終わりとなる。当然、乙女は赤く染めることもない。 ○嵐の夜を過ぎてようやく、先輩は乙女に自室にお見舞いしてもらうことに成功し、絵本を渡すことに成功し、ついに乙女を上気せしめ、デートすることに成功する。
[04/16 10:23] isbn479480542X
○先輩が秘密裏に埋めた外堀がついに埋まる・外堀埋めが乙女にバレる/ひょうひょうとした乙女がついに頬をそめる。……そういうダイナミズムについては、映画版のほうが大きいはずだ。(原作では絵本は古本市から出る前に乙女の手に渡っているし。)○この辺のフラストレーションの貯め方と解消は、アニメ版『四畳半神話大系』の原作小説からの改変点を思わせるが(原作では想い人と毎章くっついていたしヒロインの忘れ物を届けもしたのが、アニメ版では何度も何度も孤独となりヒロインの忘れ物も渡せもできず、最終話のみくっつき忘れ物も渡せる)
[04/16 10:24] isbn479480542X
ただ、解消の処理のしかたが(『四畳半』原作・アニメとも、『夜は短し』原作とも)だいぶ違うようにも思え、おそらくそのへんが影響した結果として、観ている自分としてはいまいち気持ちが盛り上がってこないのだった。
[04/16 10:24] isbn479480542X
{アニメ版『夜は短し~』は、先輩は煩悩に打ち克って乙女に手を出さなかったことで/彼女が煩悩の沼に落ちそうなところを間一髪止めたことで、彼女と一緒に空を飛べた……という展開になっていて、これが展開される空間は非常に妄想度の高い時空間で、この出来事を乙女が共有しているかどうかは不明なのだった。つまり先輩のひとりよがり感がなきにしも。
[04/16 10:31] isbn479480542X
⇔一方の原作『夜は短し~』での乙女と一緒に空を飛ぶくだりは、映画同様に、先輩は熱に浮かされているし乙女も最終的に赤面しているので、彼らの語りの向こうの真実は不明なところがあるけれど。 ただ、李白翁の起した風によって飛ばされそうになっていた乙女を、部屋から出て樋口師匠の技術のマネで飛んでいた先輩が見つけ、助けて、一緒に飛んで、先輩の下宿まで連れて降りた("大変上手な着地でした"と乙女)……というような出来事を、二人がたしかに共有しているのでした。
[04/16 10:31] isbn479480542X
(脱線するが、今作を観て『マイマイ新子と千年の魔法』や『この世界の片隅に』の片渕監督アニメは「実はけっこう飲みこみやすい快楽原則に乗っているんだな」と思った。大ざっぱにまとめると前述2作も今作アニメ版『夜は短し~』と同様に、幻想と現実を扱っていてしかも主役二人が結びつく出来事には多分に幻想の入ってそうな展開を見せるのだけど、虚実がなんにせよその出来事は二人に共有されているとの明示がある)}

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